考古
把手付鉢(とってつきばち)
紀元、3、4世紀ごろ、大陸との交易がさかんになるにつれ、大陸文化とその技術が我が国にも導入されてきた。
今までの縄文式土器や弥生式土器とはちがい「かまど」が設けられ、硬度が高く、しかも精度のよいものがつくられるようになった。またこの地は、朝鮮半島よりの交易の要地でもあったらしく、須恵器とよばれる窯づくりの土器が多いゆえんでもある。
この「把手付鉢」は8世紀ごろ(古墳時代後期)のものと見られ、把手のある点や、その形精製度からみても、県下では類例のない異形土器として珍重なものである。
おそらく、他から持ち込まれたものであろうが、これが何のために使われたのか、これらのことを探るのは、歴史のうえからも興味深い。
【内灘町歴史民族資料館蔵】
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